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介護への想い

高齢者に楽しく生きてほしい。
その気持ちが原点であり、夢である。

莫大な報酬を貧しい人のために使う医師がいる。

高須克彌の尊敬する美容外科医のひとりにブラジルのピンターギ先生がいる。最高の技術と信頼されている彼の患者には、世界中の名だたるセレブや有名人が多い。彼はそういった裕福な患者から莫大な治療費を得ている。その一方で、彼は一般の病院を経営。そして、貧しい人なら誰でも無料で治療が受けられるようにしているのだ。つまり、美容外科で得た手術料を病院に寄付し、無料奉仕で手術を行っている。高須克也はかつてピタンギー先生を訪ねた時、その行動に非常に感銘を受け、ピンターギ先生のような志の医師を目指そうと思った。

クリニック開設。その一方で介護にも取り組んでいた。


名古屋駅から特急電車で約1時間、さらに車で数十分行ったところにある愛知県一色町。個人住宅と商店が点在する静かな町の広い通りを抜けると、1万坪の広大な敷地に建つ総合病院「高須病院」が見えてくる。かつて祖母が開いた「高須医院」の時代、お金のない患者から治療費として受け取った山林の土地を売却し、その資金を充てて「高須病院」として高須克彌が開設した。年は1974年、つまり、高須クリニックを開く2年前だ。そして、高須クリニックを開いた翌年の1977年には、医療法人社団福祉会「高須病院」となり、福祉への色合いを濃くしている。つまり、高須クリニックを設立し、美容外科に革新を起こそうとしている一方で、高須克彌の目はすでに福祉にも注がれていたのだ。

高須克彌の活動によって、世の中の美容外科のイメージが大きく変わろうとしている時に、高須病院では、透析やリハビリや白内障手術など高齢者医療を充実していったのだ。さらに、老人保健施設高須ケアガーデンやグループホーム高須やヘルパーステーションなど、介護施設を次々と開設。病院の枠を超えて、医療グループとしてなくてはならない存在へと成長していた。

美容外科も介護も、人を幸せにする医療。

高須克彌は、多忙な日々を送りながらも、月に一度は故郷にあるこの病院を欠かさずに訪ねている。彼は、高須クリニックの医師であると共に、高須病院の理事長を務めているのだ。お年寄りの治療は、治療費が一定にとどめられているから、良心的なサービスを行えば行うほど病院側に損失が出る構造になっている。しかし、理想を求める姿勢は崩せない。初代、高須病院の院長だった克彌の母、登代子の経営方針は「医は仁術」。現代医療経営は算術ができないとなりたたないことを認めたくない母の教えに従って、高須病院は成り立っている。だから、理事長である高須克彌自身も無給となって、お年寄りの治療にあたっているのだ。

「採算が合わなくなったので廃院」は、今では珍しいことではなくなった。もちろん、病院経営も経済活動のひとつである。しかし、社団福祉会「高須病院」は志を高く持ち、目先の採算よりも支持してくれる患者さんたちに向き合っていく。

介護と美容外科。このまったく異なる医療は、高須克彌にとっては同じ要素で成り立っているという。それは、どちらも患者さんの心を相手にするということ。美容外科は、どれだけ満足していただけたか。介護においては、どれだけ充実した時を過ごせているか。その医療が良かったかどうかは、ともに患者さんの主観によるところが大きい。だからこそ、心と向き合い、幸せを生むための医療なのだと言う。

高須病院を訪れると高須克彌は時間の許す限り、多くの患者さんたちとともに過ごそうとする。その時間は、高須克彌自身にとっても大きな安らぎを与えてくれるのだ。

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