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医療外科との出会い

日本では認められていない医療だからこそ、
この分野の可能性にかけてみた。

ドイツでの体験が人生の機転となる。

美容外科との出会いは1970年、高須克彌25才の時。大学院から交換留学生として西ドイツ(当時)のキール大学整形外科に入り、股関節外科の専門医を目指し研究に励んでいた時だった。キール大学のユダヤ人教授が、自分の鼻を小さくする手術をするというので見学したのだ。面白そうだなと軽い好奇心で覗くと、そこには想像を絶する出来事が実践され、かつてない衝撃を受けた。「こんなの見たことない」。自分が認識していた医療というものの枠を大きく超えるその光景は、高須克彌の価値観をも根本から揺さぶったのだった。それをきっかけに、えらを削る、あごを短くする、歯のかみ合わせを整える、という手術にも立ち会った。そのたびに美容整形への想いは深まるばかりだった。

保険医療制度が医療の進化を妨げている!?

しかし、留学から帰国すると、高須克彌は大学院在籍中に実家の高須医院を拡大し高須病院を設立。専攻していた整形外科の診療を開始した。日本ではまだ普及していなかった人工股関節の技術を取り入れた最先端の医療設備を整備。最新医療を施して、なるべく早く治して社会復帰させることに、全精力を注いでいた。しかし、治療がうまくいっても患者さんから喜ばれないことがしばしばあった。もっと長いこと入院を望む患者さんがいたのだ。早く退院できるようにとしたことが、逆に迷惑とさえ思われていた。理由は、入院すればするほど保険金が出るからということだった。

さらに高須克彌は、日本の保険医療制度の矛盾にも突き当たる。保険が効く病気やケガの場合、医者の側も早く完治させるよりも、いつまでも延々と治療していたほうが儲かる仕組みになっている。つまり、早く治すことに努力しない医師のほうが、患者さんからも喜ばれ、収益も大きくなる。こんな制度が医療の進化を妨げていると考えざるをえなかった。
そんなことが気持ちに重くのしかかっている時、あのキール大学で見た光景がリアルに浮かんでくるのだった。保険の効かない美容外科なら、治療が早く済めば早いほど患者さんに喜んでもらえる。実力勝負の世界がそこにある、大きな可能性が広がっているのだ。

未開の分野だから、自らが開拓できる。

大学の卒業を控え、いよいよ自分の進む道を決めなければならない。すでに整形外科医としての一歩を進めてはみたが、これが本当に自分の進むべき道なのか、確信は持てないでいた。ふと上を見上げたら、この分野ではすでに実績を積んだ人たちの数が、ものすごいことに気づいた。高須克彌は、人の後ろをついて歩くのが嫌いである。やるのだったらリーダーがいいと思うたちなのだが、あの高さに達するには定年までの時間では間に合わない。

その当時、日本では美容整形手術はで医療行為として認められていなかった。まだ、ほとんど手のつけられていない未開の分野だった。この世界ならリーダーになれる。そんな気持ちが、美容外科への想いをさらに後押しした。自分が頑張ればそこが最先端になる。すべて自分の実力次第で、可能性はどこまでも広げられる。失敗した時のリスクも、先陣を切る風当たりも覚悟の上、それでもこの分野を開拓することに価値がある。そう決心したのだ。

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