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偏見との戦い

タブーとされていた美容外科を、
幸せにする医療としてアピールした。

美容外科は医療として認められていなかった。

日本の医療は国家主導で発展してきた。国家統制の枠からはみ出して、民間主導で独自の発展をした美容医療、美容外科手術はいかがわしい医療とみなされてきた。やけどや事故の外傷を修復する形成外科の名称が72年に法制化されたとき、「美容は含まない」と定義されたのもそのためだ。形成外科も美容外科もカラダの外面的な部分を整えるということでは共通する医療で、治療には同様の技術が必要とされる。しかし、容姿や老いは病気ではない。病気でない人にメスを入れるのは治療ではないという理屈から、美容外科は診療科として認められなかったのだ。
また、世の中にも整形手術を受けることにはマイナスのイメージが強くあった。有名人や水商売で働く女性など、一部の限られた女性が整形手術を受けてはいたが、ほとんどの場合そのことは極秘にされていた。

たくさんの誹謗中傷とともに、理解者も獲得。

そんな中、高須克彌は1976年、名古屋市に念願の美容整形外科「高須クリニック」を開設。なんだかあやしいモノとされている美容整形に対する世の中の価値観を変えなければ、成功はない。高須克彌は、お客様に満足のいく手術を施すことで信頼を得ていくとともに、自らメディアに積極的に出演し、世の中に美容整形の存在感をアピールした。

自身が出演するCMでお茶の間を驚かせたり、テレビ番組にも多数出演。世間一般が抱く医師のイメージからほど遠いキャラクターで注目を集めた。もちろん、目立つことで多くのパッシングを受けた。「高須クリニック」の高須ではなく、美容外科の代表として矢面に立ち、様々な誹謗中傷を浴びてきた。美容外科は是か非かを論じるテレビ番組にも出演。反対派の人物と激論を交わすこともあった。

そういった活動は多くの敵をつくりながらも、一方では確実に理解者をも増やしていった。美容整形は決して後ろめたいものではない。人を幸せにする医療なんだ。整形によって人生をポジティテブに変えることもできる。そんな高須克彌の考えに共感し、手術を受けることを自ら公表する有名人まで現れるようになった。整形手術がバレることはタブーとされていた時代から、大きく進化したのだ。

ついに大学病院に美容外科が開設される。


それまで“隠れてこそこそやる後ろめたい医療”だった美容整形を、エステサロン感覚の広告で、“人を幸せにする明るい医療”というイメージに変えることに成功。さらに、初めてチェーン展開をし、全国どこにいても美容整形を受けやすくし、美容整形への敷居を低くした。しかも、高須克彌は自分で全国を回ってオペをして、信頼を勝ち取っていった。

しかし成功すれば、「金儲け主義」と叩かれる。が、高須克彌に言わせれば、健康保険が効く医療の場合、薬をたくさん使えば使うほど、入院が長引けば長引くほど医者が儲かるようになっているが、美容整形の場合は治療が早く終わって早く帰れて、通院日数が少ないほど喜ばれるから、医者の腕が厳しく問われるのだという。

高須克彌が拓いてきた美容外科は、78年には議員立法で正式に病院の診療科目に加えられ、そして86年には昭和大学が大学病院で初めて美容外科を標榜、98年には東大病院に美容外科が開設されるまでになった。美容外科に対する世の中のイメージの変化、ニーズの変化が法律を動かしたと言える。

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